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猫とぬっちょりとお気楽な日々

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徳之島のジャガイモ、無事に届けられました

という、メッセージをいただきました。心配されていた方もいらっしゃると思いますので、ここでも紹介させていただきます。

運んだ方たちも、無事に帰京されたもようです。ジャガイモは体を温めるから、被災地の皆さんの体が温まるといいな。焼き芋のようにしてもおいしいよ。



詳しくは、

「奄美の家」圓山さんのブログを参照ください。


http://www.amamino-yeah.com/blog/
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by toruteh | 2011-03-31 22:35 | つれづれ | Comments(0)

朝日から元気をもらう

最近6時に目が覚めるようになった。珍しい。
早いときは4時とか5時だったのに。 ちょうど、向かいのビルの屋上に朝日が登る時間。

おはよう~。ネコと一緒に朝日を拝む。 今日一日、すべてが無事でありますように。
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by toruteh | 2011-03-31 07:00 | つれづれ | Comments(0)

徳之島の熱き思い、北へ向け出発!

有明埠頭には、徳之島出身の人たちがたくさん応援に駆けつけていました。
一回目の積み出し梱包が終わると、案外早く終わったなぁと思っていると、それは6トン分。続けてコンテナがきて、おおっ!それも、次々と梱包されていく。

午前中かけて積み荷の作業終了。たくさんの人がいても、結構な量でした。
ジャガイモのほかに、たんかんに黒糖。

徳之島の人たちの熱い思いが伝わってきます。関東で、経由するその思い。
そして、それが
少しでも、被災者の人たちの力になりますように。
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by toruteh | 2011-03-29 16:45 | つれづれ | Comments(0)

被災地に看護師で行かれた方のブログ


http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
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by toruteh | 2011-03-28 22:24 | つれづれ | Comments(0)

徳之島でとれたジャガイモを被災地へ

明日の朝、有明に着く船には、18トンもの徳之島でとれたジャガイモが~!
詳しくは、「奄美の家」圓ちゃんのブログを参照ください。



http://www.amamino-yeah.com/blog/
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by toruteh | 2011-03-28 20:54 | つれづれ | Comments(0)

今知っておかなければならないこと

東電がどうのこうの、政府対応がどうのこうのではなく、事実を知り、自分たちで判断するための指針が私は必要だと思っていました。

友人の日記に、そのリンクがありましたので、私もリンクを張りたいと思います。

これを読んで、自分たちで自分たちの将来を選ぶ権利があると、思います。

知らないより、知っている方が、身を守れます。自分の身を守るのは、最後はやはり自分です。

恐れるのではなく、パニックに陥るでもなく、真実を知れば、どう対処するのかを、選べる、そう思います。

今何が起こっているのか。専門家たちが口々に安全を訴えるテレビ映像は嘘くさかったが、これを読むと、なにをどう信じればいいのかがわかるようなきがします。

http://takedanet.com/2011/03/post_aea1.html

http://takedanet.com/2011/03/32_f654.html
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by toruteh | 2011-03-28 20:50 | つれづれ | Comments(0)

いわき市四倉の現状と救援要望~689さんの日記より

689さんの日記をお借りしています。





2011年03月23日12:13 18日から延べ3日間、福島県いわき市へ救援物資輸送をした。

勿来、小名浜、新舞子、四倉と沿岸部を北上した。

本当は、他にも困っている地域がたくさんあるだろうし、ジャーナリストでもないのでこのような限られた地域の訴えを書くつもりは無かったが、行政を動かす多くの声が必要なので、今できることのひとつとして伝えたいと思う。

したがって、現地の画像も多数納めてきたが、ここでの掲載は控えたい。



福島第一原発から34km、第二原発から13km。

福島県いわき市の県立四倉高校には約250人の避難者が残っている。

約1キロ原発寄りの避難所にいた人々は、いわき市のチャーターバスで安全な場所に移動した。

屋内退避指示がでている半径20-30km圏内について、行政側は「自主的避難」を支援。

30キロ圏外でも車などの移動手段がある市民は次々と遠方へ脱出している。

四倉高校にいるのは車がないか、あってもガソリンが尽きて身動きできないお年寄りなどの災害弱者だ。



11日、大津波は海岸から約1キロの校門前まで押し寄せた。

直後から家を失った約1200人が着の身着のまま逃げ込み、校庭は車で埋まった。

翌日、「福島原発で炉心溶融」との情報が流れると、大半はあっという間立ち去った。

残されたのはほとんどがお年寄りで、寝たきりや自力で歩けない人が10人以上。

風評被害により民間企業は物資を運んでくれず、食料と水は市の配給に頼るしかない。

断水が続いている為、避難以来ほとんどの人が風呂に入っていない。

仮設トイレの汲み取りはほとんどなく衛生環境も悪化しつつあり、感染性胃腸炎とみられる症状が広がっている。

このような状況の中、四倉高校の避難住民は繰り返し県や市に再避難の手配を求めているが、水・食料等の支援物資が必要最低限配給されるのみだ。

県又はいわき市の対応は「再避難してもらう予定はない」。

被災者受入の申し出があっても丁重にお断りしている。

なぜだかはわからない。



四倉高校の職員とコンタクトを取ったのは20日の朝。

それまでの2日間、沿岸部を回り見た光景は、他の地域で報道されている津波被害のそれと全く同様。

道端で座り込み涙を流すご老人、支援物資を届けると本当に喜んでくれる被災者。

まだ多くの人が困っているだろうと、ツイッターで検索していると、残っている避難所の中で原発から最も近い四倉高校を知った。

早速、電話連絡してみると職員の方が応対してくれた。

困っている物資は無いか聞くと、

「水・食料等は毎日必要最低限、配給されています。

それよりも回りにまだ住んでいる地域住民の方々が困っているのでそちらを助けてほしい。

取りに来られても分けてあげられない実情です。

あっ!今も大きい揺れがきてます。どうかお願いします」

これを聞きなんとか住民に配れないか相談し、四ツ倉駅前で配ることに決めた。

高校からは、取りに来た人にアナウンスしてもらい、あとはツイッターで呼びかけた。

延べ30人くらいの方々に配れたと思う。

ここでは、皆さん譲り合いで、余分に持って行ってくださいといっても、申し訳ないと遠慮する方々ばかりだった。

小さな子供達は、お菓子に喜び、マスクもせずに走り回っている。

そこで、近くの老人ホームや四倉高校も実は物資不足だと聞き、奄美大島から救援物資を2000km自走で持ってきてくれたアースデイ奄美の方と回る。

うちは大丈夫だから地域住民へと言っていた方々も、物資の中身を見てとても喜んでくれた。



そして23日今朝、震度5の地震が連続して発生。

心配になり、連絡先を交換していた避難所事務長に連絡してみると、

「やはりもう、精神的にも良くない。余震、原発、断水による衛生面、これ以上耐えるのは厳しい。早く行政が決断して、再避難したい。

今までは、メディアの取材も口頭のみで、映像は市が許可していないので実情を発信できていなかった。

原発北側の南相馬の行政の動きと比べると遅すぎる。いわき市は大きいので、一地域だけの対応が難しいのだろう。

しかし北と南の困窮度合いが違いすぎるし、1km先の避難所は市の支援で再避難している。

とにかく、周りからの訴えかけも協力してもらい、市を動かすしか方法が無い。

ダメでもせめて衛生環境を改善してもらいたい。」



現在、メディアへの取材依頼、避難受入を申し出てくれている自治体からのいわき市への働きかけを行っている。



政府は今後、原発がどうなるかという長期ビジョンを発表していない。

したがって、周辺住民の中でもご老人たちは、ここで死んでもいいとか、原発の冷却が進めばすぐに帰れるだろうと考えている。

避難30kmは妥当だと思われるが、いったいいつになったら解除されるか、ほとんどの方が知らないであろう。

専門家として、信頼できると思う大前研一さんの解説を参考にしてもらいたい。
http://www.youtube.com/watch?v=8GqwgVy9iN0


電気と電話は開通している。

食料物資も回り始めている。

支援も次のステップに進まなければならない。

と言う事で、この実情を少しでも広め現状を打開したい。



内山秀樹



ぜひ、広く知ってもらいたく、転載させていただきました。援助の手が一日も早く必要な人たちに届きますように。
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by toruteh | 2011-03-25 18:38 | Comments(0)

粉ミルクとペットボトルの水を使うときの要点

ペットボトルの水でも、粉ミルクには合わない水があります。

エキサイトニュースに出ていたので、リンク貼ります。



http://www.excite.co.jp/News/bit/E1300928048042.html
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by toruteh | 2011-03-24 12:04 | Comments(0)

東京到着

冬の海は荒れる。名瀬湾を出たときが、一番荒れていたような。4メートル。結構な高さ。
海面に打ち付けられる振動が伝わってきた。

二日目は、凪の中、船は進んだ。

海外航路を走っていたというだけあって、綺麗な船室で、かなり快適な旅を楽しませてもらった。船旅もまた良し。

東京湾に入ると、ぐっと波がなくなる。ゆっくりと船は進んでいるはずだが、乗っていると景色の流れが結構早い。

いつもは空港へ向かう高速道路から見ていた景色を、海側から眺めた。

名瀬の港では、積み荷の積み卸しで、停泊していたのはたった10分だけだった。

きびきびした船員たち、荷揚げの人たちの動きに感動さえ覚えた。

そして、今、東京に戻り、一緒に東京から旅を続けたカップヌードルを、東京水で食べている。

そして、これまた、東京水で入れた熱いコーヒーをうまいなぁとすする。

震災前と少しも変わらないようだが、街に出ると、違っているだろうか。

変わったといえば、路肩に咲き始めていたこぶしの花が満開になっていた。
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by toruteh | 2011-03-24 11:58 | つれづれ | Comments(2)

故郷捨てれず

朝起きて、「明日の東京行きの船で帰るから」というものあり。
へっ?
骨を埋めるつもりかと思っていたのは、私の大きな勘違いだったらしい。

島の穏やかな空気に包まれて、怖さが抜けたのかもしれないが、彼はふるさとを思い出してしまった。

この島で、暮らしてみようか。そんな思いにさせてくれる島だった。
山道を歩けば鳥のさえずり、虫たちのささやき、蛙の合唱。

なんといっても、空気がうまい。

それに揺れることもない。

春の海にはアオサのりだろうか、緑の縁取りがなされていた。
島の歌を聴き、島の風をかぎ、機織りを習って暮らそうか、それもまたよし。
そんな思いが湧き始めていたから。

島に車を渡し、そこまでしたのだから、
あと一週間後でもいいんじゃないかと思ったが、思い立ったら止まらない人である。

夕べの船に乗り、今は志布志湾を出たところだ。そろそろ電波も切れるだろう。
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by toruteh | 2011-03-24 11:56 | つれづれ | Comments(0)