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猫とぬっちょりとお気楽な日々

torute.exblog.jp

さっきまでここにあった命がもうないという不思議。
もう彼は存在しない。残ったのは思い出ということか。
5月30日に家の近くの病院に行った。
かなり戻してしまうので。
しばらく様子を見たが相変わらず戻すので、怖い先生のところへ行った。血液検査、レントゲンに以上は見られなかった。粉末の抗生物質をもらう。前の病院ではもらえなかった。この一週間で、病状は悪化したと思われる。
一週間ご、谷澤病院に行く。戻すことは治っていたから、大丈夫だろうと言われる。
食欲戻らない。
何を食べるか、エビにホタテ、しばらくは良かったが、もう何も受け付けなくなった。
また近くの田口病院へ行ってしまった。これがセレクトミスだったと思われる。
点滴を打ってもらうつもりだったが、3時間置いていくことになると言われて、皮下注射で、様子を見ることになった。抗生物質をも打たれる。これは違うんじゃないかな?と思った。
帰ってきて、しばらくなーくんが鳴き始めた。どこが痛いのかもしれない。手の届かないところに隠れてしまった。
病院間違えたか?この思いは強かった。
翌日も来て、と言われたので行って、また皮下注射で水分補給してもらう。
少し元気になった気もするが、だんだん弱っても行く。
口から栄養が取れた方がいいというのでヤギミルク、チュールンなど嫌がるが与えてみる。戻す。
それがおととい。
昨日は薄めたヤギミルクと嫌がるがチュールンを口に入れた。かなり嫌がる。
脂肪肝になっているのでは?と田口病院で訴えたが、まだ大丈夫と言われた。でもこれは脂肪肝だと思う。
谷澤に行くべきか、もう諦めるべきか。
夜中に吐血した。たにに電話したが、もう夜中の受付はしていないと留守録が流れた。
あきらめた。そして彼は逝った。
どれもが裏目裏目に出た気がする。


# by toruteh | 2019-07-20 05:59 | 猫日記

母の日

今日は母の日なので、とりあえず会いに行く。
母の誕生日もこの辺りだし。長いこと顧みなかった母に詫びたいと思っても、
母の日_f0148726_21585034.jpeg
もう私と繋がっていた母の電波はすでに切れてしまっていて、伝えることはできない。私もやっと母に優しくできる年になったけれど、時すでに遅しですな。会いに行くのは自分の気持ちのためなのかもしれないけれどね。

# by toruteh | 2019-05-12 21:54 | 介護帰省

10年も

こんなモヤモヤとした親な気持ちになるのだったら、言いたいことを言って嫌われていたほうがマシだったなー、と今更思う。
顔で笑いながら、コソコソと上司へ告げ口していてのかと思うと腹が立って仕方がない。
アシスタントが怖がっているというから、もう何も言うまいと黙っていたのに。
今いる人たち、誰も私に怒鳴られたことなんてないでしょう。
怯えるのは私の怖い人という噂があったからでしょ?
声荒げたこともないのに怯えられたんじゃやりづらくてしようがない。それをネチネチ言ってくる上司も最低。それもメールで。
顔合わせているのだから、顔を見合わせて言うべきじゃないの?
メールで人の粗探しかー、情けない。
それなら私もそうしましょうと、アシたちへの愚痴を吐いたけど、あー、情けない。そんなところに10年以上も尽くしていたのかと思うと、自分に腹が立ってしょうがない。

# by toruteh | 2019-05-09 14:46 | つれづれ

エバとアンナちゃん

昨日とは一変して寒い冬空に戻った東京。温かいシマから昨日来た姉は、今日、もっと寒い北海道へ帰って行く。東京を通過するたびにフラメンコに引っ張り回しているのだが、昨日は丁度エバとアンナちゃんの公演があったので、そちらへ。島唄とフラメンコのコラボをすでにやっている友達も誘った。はたして。

スポットライトの下、アンナちゃんの歌う子守歌が静かに響く。エバが円に沿って移動していく。コンテンポラリーダンスも嫌いじゃない。次のシマウタ、この歌なんだっけ、「ウメシャラシュンマーヘー~~」知っているけど思い出せなかった。歌本開く、あ、「東(あが)れ立雲節」だったか。カサン節のこの唄はあまり聴いたことがなかった。改めて聞いてみたいが、師匠の音源にも残念にこの唄は残っていなかった。
「別れてぃやいきゅり ぬば形見置きゅり 汗肌ぬ手拭ぐい うりが形見」この歌詞は聴き取れた。この唄の歌詞を改めて読んでみると、恋人とのやりとりだけれど、どれも現実のようでありながら、霞のようでもあることに、今気がついた。1番目の歌詞は東の空を染めている雲の流れている様を見れば恋人との別れのようだと言う歌詞、次の歌詞は、日が昇ってきたと思って外に出たらそれは月の明かりだった。下の句は解釈が難しいー。うーん。中途半端だけれど解釈はここまでにしておこう。
次は「カンツメ節」奄美島唄三大悲恋の一つと言われている唄。ちょっと悲恋過ぎて内容はかけない。
次の曲は「太陽(ティダ)の落てぃまぐれ節」
そして、フィンデ。タンゴなら、こちらは島の締め唄六調を三味線で。あっているような、不思議な感覚。フラメンカたちが、タンゴでむずむずしてくるなら、しまっちゅは六調でむずむずしてくる。踊って良ければ踊りたいね、と、友達が言う。いいんじゃない?って言いたかったけれど、こらえた。祭が終わり、アンナちゃんがお茶を運び、ステージ円の中央でエバとお茶を酌み交わす。お互いをリスペクトしているのが伝わってきて、なんか嬉しい。エバの公演と言うより、アンナちゃんのためにエバが用意したステージでもあったきがした。フィンデでエバが見せてくれたアレグリアスは最高だった。キレッキレだったね、背骨の一つ一つが動いていく感じまでわかったと、姉も興奮気味に話す。子守歌から始まったと言うことは、全て夢のことということだったのか。深読みする必要も無いけれど。
日曜日の公演もみたくなってしまった。チケットとっておけば良かった。

# by toruteh | 2019-03-24 10:25

昨夜の夢

父が出てきた。夢の中の父は笑顔だった。お袋を迎えに来たんだ、と嬉しそうに話す。
まだ80前半くらいの歳の頃に見えた。
父も母もまだ元気ですが、前のようではありません。
我が強すぎて家に馴染まない私でしたが、もう少し年を取っていたら、一緒の時間をゆっくり楽しめたのかもしれません。いかんせん、まだ二十歳そこそこでしたから。2人のことを思えば後悔ばかりです。

# by toruteh | 2019-03-19 12:58 | つれづれ